大判例

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最高裁判所大法廷 昭和24年(つ)100号 決定

主文

原決定を取り消す。

異議申立人が仙台高等裁判所に申立た抗告を棄却する。

理由

特別抗告人仙台高等検察庁検事長藤原末作の申立理由について。

旧刑訴五三六条は、「裁判執行ノ指揮ハ、書面ヲ以テ之ヲ為シ、之ニ裁判書又ハ裁判ヲ記載シタル調書ノ謄本又ハ抄本ヲ添附スベシ」と定めている。その趣旨は、個人の基本的人権に重大な関係をもつ刑の執行に当っては、刑の種類及び範囲を明確ならしめるために、裁判書又は裁判を記載した調書の謄本又は抄本という確実な証明資料を添附せしめて、苟くも刑の執行に過誤なからしめんことを期したものである。しかし、これら裁判書等は、もとより権利の化体している有価証券とは異り、刑罰の執行に絶対必要なものではなく、ただ証明資料として最も適切且つ典型的なものであるから、通常の事態を標準として法律に掲げられたものと見るべきである。されば、天災事変等によってこれらの書類の原本が滅失して謄本等の作成が不可能となった場合においては、犯行、刑の種類及び範囲を具体的に明確ならしめるに足るその他の証明資料を添付して裁判執行の指揮をすることができるものと解するを相当する。原審決定は、逮捕、抑留及び拘禁に関して憲法三三条、三四条が保障している厳格な要件と対比しても、自由刑の執行には旧刑訴五三六条に定めている書類の添附が絶対必要であると説明しているが、逮捕、抑留又は拘禁は元来有罪判決のあるまでは無罪と推定されている個人を単に犯罪の嫌疑で自由を拘束するものであるから、そしてややもすれば濫用され易い実情にあるから、憲法上厳格な要件が定められているのである。これに反し、刑の執行の場合は有罪判決の確定した犯罪人に対し刑罰として自由を拘束するものであり、確実な証明資料に基けば濫用されることはない事情にあるから、原審のような窮屈な解釈を採る必要はないのである。そして、第二審山形地方裁判所が本件異議申立を却下したのは相当と認められる。それ故、特別抗告は理由があるから、旧刑訴四六六条二項により主文のとおり決定する。

右は裁判官沢田竹治郎、藤田八郎の少数意見を除き他の裁判官全員一致の意見である。

裁判官沢田竹治郎、藤田八郎の少数意見は次のとおりである。

何人も、憲法によって独立を保障された公平な裁判所の裁判によるにあらざれば刑罰を科せられない、又何人も、法律の定める手続によらなければ刑罰を科せられないことは、憲法の保障するところである。刑事訴訟法は裁判所が有罪の裁判をするには、原則として一定の要式を備えた裁判書を作成すべき旨を命じ、検察官が裁判にもとづき刑の執行を指揮するには執行指揮書に裁判書又は裁判を記録した調書の謄本又は抄本を添えなければならない旨を規定しているのは(旧刑訴五三六条新刑訴四七三条)刑の執行には個々の受刑者に対する国家刑罰権の存在及びその具体的内容を明確にしている裁判書又は裁判を記録した調書(以下単に裁判書等と略称する)の存在を要件とし、これによって受刑者に対する裁判執行の正確を確保し以て、前示憲法の保障を全うせんとするものに外ならない。即ち検察官によって執行せられるものは、裁判書等に化体された裁判所の裁判そのものでなければならない。検察官の作成する執行指揮書のごときは、裁判を執行するがための手段として所轄刑務所長に対して発せられる行政上の一文書にすぎないのである。

しからば、本件のごとき天災等により判決の原本、謄本、抄本が滅失又は紛失し(以下単に滅失と略称する)その作成が不能となった場合には、検察官はいかにして刑の執行を指揮することが、前記憲法の要請にかなう所以であろうか。

かかる場合、もはや刑の執行は許されないとする見解もないではないが、かかる場合でも刑執行の基本たる確定裁判の内容を明かになし得ることがあるのに判決書等が滅失したとの一事を以て、直ちに犯人を放免しなければならないと解することは、妥当でなく又立法者の意思にも副わないものと思われる。アメリカ聯邦法及び多くの洲法は司法上の記録が紛失又は破壊された場合についてその救済方法を規定している。殊にアメリカ聯邦法一七三四条一七三五条によれば一般的に裁判所は過失なき当事者の申請に基いて慎重な審理を遂げた上、失われ又は破壊された記録の内容及び効果を記述したオーダーを発することができるのであって、このオーダーは原記録と同一の効力を有するものとされており、又特に合衆国が利害関係を有する記録が失われ破壊された場合には合衆国官庁に適法に保管されている認証謄本を以って原本と同一の効力あるものとなし、裁判所書記又は合衆国地方検察官の指揮の下にかかる記録の復活に必要な措置をとるべきことを命ぜられているのである。そして制定法がない場合にも裁判所が必要な救済方法を講ずることができることは普通法の原則として認められているところである。フランス刑訴も亦かかる場合につき特別な規定を設けて事を解決している(フランス刑訴五二一条乃至五二四条参照)。又ドイツにおいても刑の執行に関する一八七七年刑訴四五一条の解釈として書類が滅失した場合には裁判所においてその内容を確定し得る限り、書記に執行力ある文書を賦与することを命ずることができるものと説かれている(レーヴェ・ローゼンベルヒ)。いづれにしてもこれらの立法例や解釈にして国家刑罰権の具体的内容の確定を検察官の専断に委ねたものの一も存しないことは、特に留意されて然るべき点であろう。わが刑訴(旧刑訴五三六条、新刑訴四七三条)は単に通常の場合について規定しただけで、異常事態の発生により裁判書等訴訟記録が滅失した場合について、何ら規定するところのないことは法の不備といわなければならないが、かかる場合にこそ法を合理的に解釈して、その欠缺を補うことが判例に課せられた任務であろう。しかして問題は、国民の一人に対して刑を執行するに当って、憲法の保障する裁判所の裁判によって確定した国家刑罰権の具体的内容が何人によって即ち裁判所、検察官のいづれによっていかにして確定さるべきであるかということであって、極めて事は重大である。若し、憲法の保障した司法権の独立と基本的人権の尊重に思を致すならばかかる場合、国家刑罰権の具体的内容の確定はいうまでもなく裁判官の専権に属せしめるべきであってこれを刑執行官たる検察官の専断に委ねることが如きことは言語道断といわなければならない。されば、この場合刑の執行に着手せんとする検察官は当該裁判所に対して確定した裁判の謄本又は抄本に代るべき認証ある書類の交付を申請すべきであって、かかる申請を受けた裁判所は慎重審理を遂げた上、裁判の内容及びその確定について之を確認し得るときは、認証ある書類を検察官に交付して、刑の執行を許すべく、然らざる限り之を許すべきでないことは云うまでもないところである。そしてかかる裁判所の認証ある書面でなければ国家刑罰権の存在及びその具体的内容の証明につき裁判書の謄本等と同視し得べき確実性ある証明資料と認めることはできないものと云わなければならない。斯くしてこそ、我々は始めてよく前記憲法の要請に適合し得るものと信ずる。

記録に徴するに、本件異議申立人大場富太郎は昭和二三年二月一九日山形簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年に処する旨の判決をうけ、同月二一日控訴の申立をしたが、同年八月六日右控訴を取下げ、ここに右判決は確定したものと推測し得るのであるが、右事件の訴訟記録は同年二月二〇日山形裁判所庁舎の火災によって全部焼失し、之がため検察官は右判決による刑の執行を指揮するに当り判決書等の謄本又は抄本を添附することができなくなったのであるが山形地方検察庁検察官は右富太郎に対し、右刑の執行の為昭和二四年一月一〇日午前九時同庁に出頭すべき旨の召喚をし(旧刑訴五四七条)、之に対し、同人は刑の執行指揮書に裁判書等の謄本又は抄本を添附しないものである以上適法な刑の執行指揮をなし得ないものであるとの理由の下に、本件異議の申立に及んだものである。

しかして、本件抗告理由はかかる場合にも、刑務所長作成にかかる留置場日誌抄本、並びに収容者身分帳簿及び本人作成の控訴申立書並びに控訴取下書の各原本の存在によって同人が前記判決の言渡を受け右判決の確定したことは極めて明白で右各書面は本件確定判決を執行するに当り何等過誤を招来せしめる虞のない確実な書面であるから、右各書面を以て旧刑訴五三六条所定の書面に準じて取扱い刑の執行指揮をするも何等の支障がないと主張するのであり当裁判所の多数意見も、右抗告理由を容れて、如上の書類により、検察官が裁判の執行を指揮することを是認している。しかし、右書面の内控訴申立書並びにその取下書には本件異議申立人が前記日時、前記裁判所において窃盗被告事件について懲役一年に処せられた旨の記載があるに止まり留置場日誌、収容者身分帳の記載のごときは勾留中の被告人を連行して判決言渡に立会った刑務所の看守が該言渡を手控えて帰り、刑務所に備付けた帳簿に事件名、宣告刑、裁判所名等を記入したものに過ぎない。もとより正確を期し難いのみならず、以上各書類を綜合しても、被告人がいかなる犯罪行為について刑に処せられたかという事実、否、いかなる罪名によって処断されたかすら、これを知るに由ないのである。(わずかに窃盗の容疑を以て起訴せられた事件であることを知り得るのみである。)刑訴法は判決原本の存在する場合ですら執行指揮書にはその謄本又は抄本の添附を命じているのである。しかるに判決原本の存在しない場合にかかる留置場日誌の如きものを添附すれば足るというが如きは、全く、刑訴法規定の法意を無視したものであり、かくては留置場日誌の如きものと裁判書とを同価値のものと認め、検察官がこれによって自ら国家刑罰権の存在とその具体的内容を想定し、これに基いて刑の執行をすることを許すものであって、司法権の独立を害し、被告人の基本的人権に対し回復すべからざる損害を与える虞れの大なるものあることを認めざるを得ない。論旨は旧刑訴五三六条が執行指揮書に判決の謄本のみならず抄本の添附を以って足る旨を規定していることを理由として刑務所の留置場日誌の抄本も確実性においてこれと同視し得るものの如く主張するけれども、その確実性において格段の相異あることは多言を要しないのみならず、右の規定は、原本の存在を前提とするものであることを忘れてはならない。(なお論旨は判決書等が天災等の異常事態の発生により滅失した場合のみを取り上げて旧刑訴五三六条の緩和的解釈を強調するのであるが、書類の滅失が天災等による場合と単なる紛失、盗難等による場合とでは訴訟法上何ら区別すべき理由はない。故意過失による滅失か、不可抗力による滅失かと云うこともこれを区別すべき意義はない。問題はむしろ判決書の原本、謄本又は抄本が果して滅失し又は作成不能となったか否かの点にある。火災等の事故による場合においても、後日かかる書類が発見されないとは限らない。さればかかる事実の有無についても、これを検察官の専断に委ねるべきものではあるまい。必ず判決裁判所の認証を必要とするものと解すべきであろう。蓋し、欺く解してこそ始めて検察官の刑執行権の濫用乃至過誤を避けることができると共に、制度として法的安全の要求に適う所以だからである。)

なお記録を調べて見ると、本件において刑執行官は昭和二〇年六月二九日附刑事第九七四三号刑事局長通牒を援用し、刑執行の指揮につき留置場日誌の抄本を判決書の抄本に準じて取扱うも差支えなき旨を指示した昭和二三年一〇月二二日附検務第三三二三一号法務庁検務局長の山形地方検察庁検事正宛の回答書(記録六丁以下)に基いて、刑の執行の準備に着手したものであることを推認することができる。しかし右刑事局長の通牒は大東亜戦争の戦禍がわが国の全域に及び、その熾烈さも亦絶頂に達し裁判所の罹災するもの続出し、しかも治安維持の必要益々その度を加えた当時の超非常事態に対処するため、刑務所に存する収容者身分帳簿によって刑の執行を指揮することを許したものであって、今日、かかる通牒を援用することは不当も甚しいといわなければならない。これより先き司法省は既に戦災を蒙った後の昭和二〇年三月一九日刑事局長から控訴院長、検事長に宛て訴訟記録等の滅失した場合における処理方策として、次の如き通牒を発している。曰く「判決言渡後判決ノ原本滅失シタル後、其ノ判決確定シタル場合ニ於テハ其ノ謄本又ハ抄本ニ基キ刑ノ執行ヲ為スヘキモノトス(中略)検事ニ於テ未タ刑ノ執行ヲ指揮セサル間ニ判決ノ原本、謄本及抄本共ニ滅失シタルトキハ裁判所ニ於テ再ヒ判決ノ原本ヲ作成シ得ルモノト解スヘク若シ判事死亡シタル等ノ事由ニ因リ判決原本作成スルコト能ハサルトキハ裁判所当該事件ニ付再ヒ審理判決ヲ為スヘキモノトス」と、すなわち、旧憲法下において、司法省が既に戦禍を受けた後においてすら、当時の司法当局者は刑の執行について極めて慎重、かつ、合理的な態度を以てのぞんでいたことがわかるのである。以て他山の石とすべきであって、かくの如き場合、少くとも、裁判の内容及びその確定の時期について裁判所の認証ある書類を得て、検察官はこれに基いて執行を指揮すべきものと解するのが正当であろう。

以上の所説によって明かな如く、原決定が旧刑訴五三六条の刑執行指揮の方式は、少くとも自由刑の執行に関する限り、之を絶対に緩和して解することを得ないと判事したことは、必ずしもその当を得たものとは認められないが、同決定が憲法三一条は刑の執行についても、法律によって定められた適正な手続によるべきことを保障しているものと解し、検察官が刑務所の留置場日誌の如きものに基いて自ら裁判の内容を想定し、本件刑の執行をなすことを許すべきでないとしたことは正当であって、論旨はこれを採用することができない。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎)

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